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ミーコワールド

ミーコワールド

オリャ~

 

  [オリャ~]

これは掛け声でアル。

体一杯満身の力を出す時の掛け声でアル。

私の子供の頃は現代のようにフォークリフトもユンボも

ショベルカーもなかったので少しの機械と人の力で作業を行った。

重い荷物を動かすのも機械を動かすのも土を運ぶのも何もかも人が行った。

大抵は二人でやったものである。

3人で行う事もある。 4人の時もあれば5~6人の時もある。

そんな時、リーダーの人が全体のイキ(呼吸)を合わせる為にまず

「セーノ」と掛け声をかけイキが整った所で「オリャ~~」という事になる。

子供の私にはそう聞こえた。

もし一人でも呼吸の整わない人がいたら「待って」と言うのである。

何度も「待って」がかかるとその作業は中止になる事もあれば、休憩になる事もある。 

ピンチヒッターがいれば交代となり「セーノ」から始るのであるが、

複数の人で行う場合、力の配分が重要となる。

力の弱い方にモノが傾いて作業がなり立たないのだ。

悪くいけばけが人が出る事もある。

だからリーダーの人の判断がとても大切な要素となるのは言うまでもない。

なぜなら人間というものは体が大きいから、筋肉質の体だからといって

力も強いという訳ではないからだ。

そういう事を全部ふまえていないと仕事のリーダーは務まらなかった。

それだけではない。

それぞれの家の事情、体の具合、その日の顔色、ありとあらゆる事に

配慮が出来なかったらリーダーは務まらなかった。

家庭も問題なし、昨日までは体にも問題はなし、心配事も聞いていない、

それなのに力が出ない、となると

「あんた、今日はどこか具合でも悪いのと違うか?」という会話になるのである。

そんな日々の積み重ねの上に仕事仲間の連帯が生まれ、

親兄弟にも言えない事を打ち明け、相談にのってもらい、

「ものは順番」「おたがいさま」と相成って世の中まあーるく和やかになったものである。

そして誰もが「口はとても固かった」。

仕事を通して他人の良い所や欠点をみる事ができた時代であった。

「あいつのここはイタダケないがこんな良いところもあるから」と言って許せたものである。

そういう事もリーダーがふまえて、もめ事の仲裁に入ったり、なだめたり、

イナシたり、どうにも収まりの着かない時には

「この件はオレに預けてくれないか」と言ってとりあえずは保留にして

仕事を優先させたものである。

そして仕事が終わってから揉め事の解決に当たった。

どうにも解決しない時にはリーダーや親方が

「わしの顔を立ててとりあえずは納めてくれないか」とか

「両方とも我慢のならんトコもあるだろうが、まあまあここは収めてくれないか、

このとおり」と言って部下に頭を下げたものであった。

そして「ゲンなおし」と言って上司が飲食に連れて行ったものである。

飲食を共にする事でお互いが新しい発見をしてすっかり仲良くなった

という事もよくある話であった。

ここで大切な事は暗黙のルールがあるという事だ。

部下は年齢や学歴、力に拘わらず上司には逆らわなかったという事であり、

たとえけんかの相手でも上司を立てて共に飲食に出掛けたという事である。

こんな仲裁がなくなったのはいつの頃からなのか。

生活の中から「オリャア~」という男の人の掛け声がなくなるのと

比例しているように思うのはちょっとうがった見方なのだろうか。

ちなみに民法にも民間人の「仲裁」の役割は認められていたように

記憶しているが、今は仲裁人に対して

「何の資格で口出しするのだ」という人が増えたようにも思う。

「弁護士でもないくせに」というのもよく聞く台詞の一つである。

挙句のはては親に向かって「うるさい!お前はだまってろ!」という

台詞を聞いた事もある。

しかも他人の親に言った人もいる。

ああ、あ、仕方がないのかなあ。

男が弱くなった事も関係があるのかなあ。

「たいへんだぁ!」へ




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